8ー5.インドアと外岩はどう違うのか?ーーその1・形状への対応

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 このホームページの閲覧で、いちばん多いのが「鉄棒理論」、ついで、この「インドアと外岩の違い」である。 

 しかし、インドアと外岩のクライミングの違いの解説など、目がくらむような至難の取り組みである。まともにこの説明に取り組んだ話は聞いたことはないし、そんなレポートなど誰も、見たことがないだろう。

 無謀な取り組みかもしれないが、それをやってみよう。

 

 まず、ふだん意外に気がつかない質問をしてみよう。

 インドアにしろ、外岩にしろ、~(小さい)ホールド(ストーン)は手の方が楽にとれるものか、それとも足で取った方が楽か?

 

 さらにこの質問を発展させてみる。~手で使えないホールドは、足で使えるか?

 さらに、さらに、(小さい)ストーンは手で使うものか、足で使うものか?ーーこう質問すれば、すこし正解が多くなるかもしれない。

 

 さらに、さらに、さらに、~アウトドアの登りで、手で使うストーンと足で乗るストーンはどちらが多いかインドアではどうか?

 

 正解はよく考えてみれば、言うまでもないだろう。

 あえて、(小さい)と書き足したが、それで分かると思う。ホールドは大きいとは限らない。大きいという固定観念で判断していないだろうか?

 大きいホールドなら、手で持てる。それは当たり前だ。では、小さい場合は、どうだろうか?

 ともあれ、インドアクライマーは、ストーンは手で取ることだけを考える。まあ、足はあそこか、乗せれば、どうにでもなる、という程度である

 

 だいたいインドアジムでは、ホールドとスタンスは共用する場合がほとんどだ。稀にスタンスだけに使うストーン(ジブスなど)があるが、ボルダーなどのスタートに使う程度だ。

 かりにルートの途中で使っていても、設定は部分的だし、手でつかもうと思えば、つかめる程度の引っ掛かりがあるので、忘れなければ、まず大丈夫、という感覚だろう。


 

  

 外岩においては、手で捉えるホールドは大体決まっている。もちろん、どのように持つか、どう使うか、ということはあるが、ラインが違わなければ、だれも注目するホールドは同じようなものだ。少なくとも、選ぶホールドはそう多くはない。

 それに対して、足で立つスタンスはいろいろあって選ばなくてはならないし、身体の組み立てを変えれば、また違うスタンスを選択する。さらにどう使うか、ということもある。

 

 外岩のホールド、スタンスとも、インドアのように良くない。というか、力さえあれば、ひとつのストーン(この場合は実際の岩)で身体を支えられるというものではない。

 2つないし3つのホールドないしスタンスで、協調的に身体を支え支持しなくてはならない。

 

 あるひとつのストーン(岩)で、力任せに身体を上げるというのは、稀だ。岩はそんなに良いものではない。複数のストーンでバランスを取り、全体の力で、身体をあげる(次のホールドを取りに行く)。

 もともと、自然の岩はインドアのように、数十秒も、そう持続して持てるものは、あったとしてもルートの中で限定される。そうなると、インドアのようにホールドに頼るのには限界がある。

 

 すると、スタンスが重要になり、インドアの場合とは違って、どれを選ぶか、最適の選びを考える。身体の組み立てとの関連もある。さらに、足の乗せ方を考える。

 逆のことを言うと、手が信頼できないから、足も正確に使い、一方の足から他方の足へと重心を移して、ステップを行う。立てると見極めて、立ち上がってホールドを取る。

 

 えいやっ、と足を踏み込んで、ホールドに飛びつくというような動きはできない。

 手もよくない、足も良くない、めざすホールドもよくない。雑な動きをすれば、結果、自分が消耗するだけだ。

 とびつけば良いと、いうものではない。インドアのボルダーのような動きは使えない。

 

 だれでもすぐ分かることだが、インドアクライミングと外岩クライミングの違いは、ほとんど人工のストーンと自然の岩の形状の違いにある、これも当たり前だろう。9割方、形状の違いがこれらのクライミングのかたちを決めている。

 

 では、インドア、外岩の自然石の形状は、どのように違っているのか?

 自然の岩の形状というのは、岩それ自体の摂理による割れ方もあるが、自然の中で、雨風にさらされることによる生成が大きい。いわく、突起する部分がなく、なだらかである、ということはよく言われる。でも、ちょっと違う。

 なだらかなら、インドアのスローパーと同じじゃないか、と言われたら、どう説明すればいいだろうか?

 

 ほんとうに分かってもらうために、人工ホールドと自然の岩の形状を下図に示してみた。具体的に考えるために、これを30cm四方の岩の形状だとする。それに、クライミングシューズをどのようにのせるだろうか?

 図で見るように、それぞれはなだらかだが、岩の場合は細かい部分まで凸凹がある。だから、のせ方次第で、シューズはいろいろな傾斜を得ることになる。

 それに対して、人工のストーンはどうだろうか?表面は一様なので、シューズの乗っている角度もほぼ一定で、場所による角度の変化も予想がつく。しかし、外岩の場合は、そうはいかない。

 

 

 

 よく言うのが、外岩はスタンスにテープが貼っていない、というもの。確かにその通りで、どこに足を置くか、分からない。ただ、この話は、ここなのか、あそこなのか、といった大まかな場所を言っていて、それならば、チョークで○印でもつければ解決する。

 

 実際の外岩の足置きは、そのようなマクロの話でなく、もっとミクロである。上図のように、足の位置が5mm~1cm違っただけで、シューズの乗せる角度は5~10度、違ってくる。直径10cm程度の範囲の岩の表面でも、場所により、角度はかなり違ってくる。

 さらに上の図は、2次元の傾斜を示しているにすぎず、実際の岩は3次元である。したがって、傾斜は置き方で、さらにバリエーションがある。これに対して、人工のストーンにシューズをのせた場合は、ほぼ傾斜は同じで変わらない。

 このように、外岩のスタンスの傾斜の問題は、ふつう言うようなマクロのレベルでなく、ミクロに及ぶのである。

 

 表面が一様、傾斜も一様なインドアのストンなら、適当に乗せれば、足とストンの接触点が多いので、なんとか支持してくれる。じっさい、たいしてスタンスなど見ずに、みんな足さぐりでやっている。

 しかし外岩の足置きは、岩がミクロで変化があるので、ピンポイントで、また、全体重でに押さなくてはズレる。

 

 正確に見ない足置きでは、傾斜の予測もつかず、思いがけないバランスとなる。少なくとも、その足に全面的に乗れない。

 とうぜん、不安定になる。これでは、クライミングにならない。それに、保持している手は甘いから、なおさら不安定になる。

 そうすると、力が入らない(すると本人の身体は力がはいる)、そうすると、思うように身体を動かせない、不安定の連鎖が起きる。

 

 こうしたことの対処は、ひとつは岩面を良く見ること3mm前後の誤差内で、自分の足の置く位置を決めること。足を置くまで目を離さないクセをつける(これ比喩でなく、実際のノウハウです)。目を離して置くと、5mmや1cmはすぐにズレる。

 

 もちろん、手で持つホールドも、インドアのように一様でない。ただ、足とくらべれば、傾きは手で対処する分、やりやすい。

 

 ここまでは、岩の形状である。しかし問題はさらに続く。岩に対して、足をどう置くか、ということがある。

 スラブへの対応、エッヂへの立ち込み、岩への押し付け、など。しかし、問題はその技術や、方法以前に、自然の状態にある岩を判別し、どの部分をどう使うか、という問題がある。

 

 岩にテープが貼っていないのと同様、これはスラブです、これはエッヂです、これは押し付けです、と岩には書いていない。どう使うかは、自分で判断する。当然、正解の使い方など用意されていない、自分で決める。

  さらに、外岩に即した特徴的な岩への足の置き方でもある。こうした、もろもろの状況、条件が外岩にはある。

 

    したがって、動きの判断は、(複数の形状の)判別→(複数の)動きの想定→(複数のうちから)選択 ということだが、われわれの脳はそれを行きつ戻りつし、最終的な動き方を決めている。それもミクロレベルの話である。

 結局、こうしたことは慣れであり、経験である。

 

 ともあれ、クライミングにおけるインドアと外岩の違いは、このようにストーンと自然石の違いにあり、それが具体的に身体の動きに関係する、その80%は乗せる足であると考えられる。

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  かなり細かいことをぐだぐだ書いた。しかし、このようなことを理解してもたいして益はない。結局、この種のことは慣れであり、経験である。数を重ね、やっていればわかってくる。

 

 細かいことよりも、ここで知ってもらいたいのは、外岩では、自然の岩にいかにフィット(合わせる、調節する)するかが、重要なテーマになっているということだ。

 つまり人工のストーンと違い、「自然の岩に(手足を)フィットさせる」という作業、すなわち「フィット」という概念を用いて外岩クライミングを理解していけば、インドアとの登りの作業の違いが見えてくる。

 

 こうしたフィットは、細かすぎて理屈にならず、経験して慣れるしかない。これを俗に外岩の「慣れ」と呼んでいるのである。

 外岩クライマーは、この「慣れ」で得た「フィット」を前提にして、しかるのちにフォームとか、ムーブとかの、大きな身体の動きを起こすのである。

 

 それにくらべて、インドアのストーンのフィットの作業は、かなり単純である。特殊なスタンスであっても、足でストーンにどう乗るか、などはまず考えない。

 そこに、外岩とインドアの登り方、グレーディングなどのさまざまな違いが生じてくるのである。それについては、次節で考察したい。

 

 

(コラム1) 人工壁でフィットの課題が作れない複合的背景

       ~手の場合のフィットの例を見てみよう~

  フィットの問題は、足使いがいちばん多いのだが、しかし、手の場合もある。そのひとつの例もあげてみよう。この例でフィットという概念、考え方が納得してもらえると思う。

 

 図1(囲みの外の図)はフィットのひとつの動きである。流れている縦ホールドの岩を指の腹で押さえて、垂壁でカウンターを切る。両足はスラブないし小さな岩の結晶に立って、身体をひねって、ほんの少し上部の岩を取るーーそういう動きだ。

 その一方で、インドアでカウンターを切る時の悪いホールドは、どんなだろう?たとえば図2がそれで、ホールドの突起が小さいか、かかりがわるい場合だ。しかし、こうしたホールドの使い方は結局、指の力である。

 それに対して、最初の外岩の動き、「フィット」では、どこに大きな力を入れるわけでもない。全体に力を入れている。岩肌に適合して、ホールドを取っている。

 

 ホールドで図1のようなものを作るのも可能だ。また、スタンスもごく小さいものを作れないことはない。しかし、なぜ図1のようなセッティングができないか?それは、以下のような複合的な理由から来る。

 1)その種のストーンは作れないことはないが、工業的、手工業的にも、作りにくく、一般的な需要がない。またストーンは運動性の高いものへ需要はシフトするし、結果、生産もそうなる。すると、さらに生産はその方向になる。

 2)セッティングも、デリケートで手間がかかる。さらに、狙い通りの設定を実現しにくい。その割りに面白いルートとしてのクライマー評価が得にくい。

 2’)たとえば、ホールドがこれでも、足が一般的なインドアのスタンスでは、足に立てるため、狙っている微妙な動きの実現にはならない。

 3)外岩にヒントを得て、模倣するセッティングもある。しかし、それは外岩の核心部分の模倣でルーティンな動きではない。おまけに核心は、フィット性より、運動性に特徴がある場合が多い。

 3)セッターはインドアで育ってきたボルダラーなので、身体全体の運動機能に注目していて、その方向にシフトしてルートないし課題をつくる。

 ーー以上が複合的な理由である。

 

 要するに、ストーンの形状、設計は、運動性の発揮の方向で、需要と生産のあいだで相互作用がおきていて、すでに、そこにひとつの世界が成立する。コーディネーションの壁などがそれだ。

 つまり、人工壁の草創期にあった、自然の壁の模倣という思考は薄れ、人工壁として、独立した概念の空間が生まれている。運動機能的にも、工業生産的にも、クライマーの壁とストーンの需要といった意味でも、そうなっている。

 

 

 
(コラム2) ▽外岩での岩の形状の読み

  岩ないしストンの形状を読むということは、クライミングでは不可欠だろう。

 インドアの場合も、上部のホールドが、どうなっているか、読むのが難しい場合はあるが、大体の予測はつく。

 それに対して、自然石はかなり読みにくい。頭上はもちろん、横にあるホールドもでっぱりの陰になって読めない。

 それ以前の問題として、インドアなら、ストンが付いている以上、それのかかり具合が分からなくとも、いちおうホールドだ。しかし、自然石はホールドとして準備されているものではないから、使えないかもしれない。使えるものをあれか、これか、自分で選ぶ。この点はスタンスと同じだ。

 さらに、手がかかる部分の形状が、一様にできてはいない。かかる場所、かからない場所がある。さらにフリクションも一様でない。

 石灰岩のおおきなツララでも、それがツルツルか、フリクションがいいか、はたまた、シワや引っ掛かりがあるか、触ってみないと分からない。

 とは言っても、こうしたことがオンサイトのみに当てはまり、レッドポイントなら問題ないということではない。自然の岩の表面は微妙に変化しているから、最初持ったところから、少しズレただけでも、違ってきて、引っ掛かりがあったものが、2回目触れると、ズレていて、それがないところだったりする。

 インドアのストーンのように同じ表面形状が続いているわけでもないし、もともと、最初持ったところが、どの場所だったか、はっきり分かるわけでもない。

 それでも、クライマーは予測をしながら手を出す。予測値はあくまで経験で、石灰岩,凝灰岩、花崗岩、岩の種類でもそれなりの特徴がある。こうしたことは、結局、経験しかない。それに経験があっても、はずれることは大いにある。

 
 
 
セル2