8-2.クライマーに罠をかける刷りこみ現象

 

「刷りこみ現象」って知ってますか? ローレンツという学者が発見した現象だが、いちばん有名なのは、鳥類のうち鴨などが生まれてすぐに出会ったものを自分の母親だと思ってしまうこと。

 だから、生まれた鴨がすぐ人間に出会うと、その人を親のように思って、その人の後をいつまでもついてくる。

 ある映画で、鴨が孵化してくれた主人公を刷り込まれて親と思い込み、その鴨が育って巣立ちの時を迎え、飛行機に乗った主人公のすぐそばを、一緒に空を飛ぶという感動ストーリーがあった。

 

 この刷りこみ、英語でインプリンティングというのだけれど、研究結果では人間にはこういうことは起こらないとされている。しかしクライマーを観察していると、私はついこのことを思い出す。

 そして、自分の場合は、どのような刷りこみが入っているのか、考えることがある。クライミングは常に危険と隣り合わせなので、危険を回避しようという、理屈では説明できない運動感覚が、人の身体の動きを支配しているように思えてならないのだ。

 

 じっさい私の考えるところでは、クライミングで最初にインプットされた身体の動きが、かなり後々にまで残り、これを克服するのは、そう簡単でない。

 自分がそれまで経験してきたものと違う動きは、当然自信がなく、危なくないか、大丈夫かと心配してしまうわけだ。むしろこの種の危険予知、危険回避の条件反射が起きないと、それはかえって危険だと思う。

 

 1章で指摘したが、初段を登るボルダラーが、ルートの10cを登れないということがある。御岳の忍者返しをウオーミングアップで登るボルダラーがルートの10b、10cを抜けられない。二子の12を10数本も登っているクライマーが、鳳来の13を登った女性が、インドアのイレブンが登れない。

 名誉なことでないので本人はもちろん、だれもおおっぴらには言わないが、これ、現在のクライミング界で、どこにでも転がっているごく普通の現象だ。 

 

 このクライミングの刷りこみだが、すぐに気がつくのは、アルパインクライマーがフリールートを登れない、ボルダリングの猛者がフリーにてこづる、12,13のフリーククライマーがボルダーはせいぜい4-5級ということが、ごく普通の現象だということだ。

 

   理由は簡単で、アルパインは正対、3点支持のフォームに固執する、ボルダラーは力任せに登ろうとする、フリークライマーはボルダラーのように、跳んだりはねたりに慣れていないーーごく簡単に言ってしまえば、そういうことだ。

 

 本質的な言い方をすれば、安全性に特化すれば(アルパイン)、運動域を狭くし、フォールの可能性のある特殊なテクは排除する。 持続・省力性を求めれば(ルートフリー)余計なリスクヘッジ(安全保障)を極力なくそうとする結果、安定性は損なわれる。その一方、省力を追及する結果、壁の中にとどまり、居続けられても、短期決戦のパワー発揮にはむかない。2点支持などがそれで、省力性に優れるが、パワーの発揮とは関係がない。

 そしてパワーやテクニックに集中する(ボルダリング)は、安定性も持続性も確保できない。

 

 当然のことだが、クライマーは自分が目指す対象に合致した動きをする。そうでなくては目標達成のため、効果的、効率的とは言えないだろう。だから、クライミングのジャンルを乗り越えようとすると、すでにインプットされた(刷りこまれた)動きをチェックして、ジャンルに対応するように変えていかなくてはならない。

 

 しかし、クライミングの刷りこみには、もっといろいろなレイヤー(階層)があるように思う。最初にあげた例のうち、外岩の12や13を登っているクライマーがインドアのイレブンが登れず、ボルダーが4-5級ということになると、ちょっと待てよ、ということになる。

 

 身体の動きは頭で考えてチョイスするようなものではなく、ほとんど経験的、あるいは反射的に反応するものだ。ひとつの情報が入力されると、ほとんど条件反射的に一定の動きを出力するようになる。  これが刷りこみなのだが、身体の動きの細かい部分、細部まで浸透する。

 つまりひとつの動きに慣れてしまうと、同じ場面で違う動きができなくなる。とくに類似している動きの場合が厄介だ。ひとつの動きは類似した他の動きに干渉する。

 脳の学習から言うと、危険感覚などが作用し、先行して覚えた身体の動きが、他の類似した身体の動きの習熟の阻害要因として働いてしまう。

  

 したがって、このようにすでに構築されている身体の動きを変えるには、相当の時間がかかる。それは、いままで経験をリセットし、再度、身体の動きを構築しなくてはならないためだ。 そして経験は千差万別だから、臨床で観察しても分析するのはほとんど不可能だ。もちろん、繰り返し練習すれば、修正していくことは可能だが、膨大な時間がかかってしまう。

 

 たとえば、長い経験があって、過去のセオリーを奉じる(アルパイン)クライマーが後から始めたビギナーに、短期間で追い抜かれてしまうことなどがその例だ。経験のあるクライマーは従来のセオリーである一定の身体の動き(たとえば正対)にとらわれて、パラダイムチェンジして新しい動きを取り入れるのに苦労するためだ。

 

 人間の身体は一定のパターンに慣れる傾向があり、このように固まってしまった身体の動きの集積(コンプレックス)をわれわれは「くせ」と呼んでいるわけである。

 したがって、クライミングを始めようとする人にとって、最初のスタートが大切だ。とくにこのクライミングというスポーツが危険性を伴うことから、これがわれわれの感覚に一定の作用をし、間違った方向に身体の動きを定めてしまう傾向がなきにしもあらずだからだ。

 

 さらに、すこし皮肉な言い方になるけれど、ある一定の動きを練習すればするほど、他の動きにはマイナスに働くということがある。正対の練習をすれば、カウンターは出にくくなる。スラブばかりやっていると、ハングは下手になる。その逆も言える。

 なぜか、というと、動きのちがうもの、この場合はあべこべの動きが刷りこまれるからだ。

 いずれにせよ、違った身体の動き、つまり、ときに相反し、ときに類似であるためにかえって区別しにくい身体の動きを、状況に応じて、スイッチし、チョイスするのは容易ではない。こういう変化に対応できるアスリートを、われわれは運動神経が発達しているとか、呑み込みが良い、応用力があると呼んでいる。

 

 ただ上達ということで考えると、一般的に言えるのは、フォームとムーブを決して同列と考えず、別々のものと認識し、練習することだ。アルパインや、とくにフリーにはフォームがあるが、ボルダリングにはほとんどフォームらしきものがない。

 だから、ボルダリングの練習 → フリーの登り上達 というふうに直線的には考えるべきでない。このような理解は、フリーのフォームをこなす、一定レベルに達したクライマーには通用しても、ビギナーにはそのように一直線にはいかない。 

 分かりやすい比喩でいうと、フリーで重要なポイントである、「脱力=力を抜く」登りのフォームを学ぶべきところを、ボルダリングの課題で、「注力=力を入れる」練習に励んでいることになる。こういう人は脱力の場面でボルダリングの刷りこみが入っているので注力する。それでは登れない。

 

 この反対のフリーの練習→ボルダリングの上達も同じだ。ボルダリングの登りは直接的であり、まどろっこしいフリーの登りとは、基本的に違うのである。力を使わない登りを練習することと、力を発揮する登りを学ぶことは、やはり少し違う。

 この刷りこみの話は理解しにくいと思うが、すこしニュアンスだけでもわかってもらうために、最後にひとつの例を挙げておこう。

 

 

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 ある一定の動きを練習すればするほど、他の動きができなくなる。正対の練習をすれば、カウンターは出にくくなる。スラブばかりやっていると、ハングは下手になる。その逆も言える。なぜか、というと、動きのちがうもの、この場合はあべこべの動きが刷りこまれるからだ。

 こいうことも考慮して、苦手分野をなくす配慮も必要だろう。

 

 

 

 

ーー 以下、残稿で読む必要がありません。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

のその人が始めた、あるいは現在メインでやっているクライミングのジャンルからの影響である。すでに別の場所でも触れているので、簡単にしか言わないが、アルパインというのは登頂が主目的で、整備されていない岩場を登るから、落ちないということが前提だ。そして、このことがアルパインの登りを規定する。

 一方、フリーは難度を克服するためのトライであり、よく言うように「落ちてナンボ」の世界である。落ちる寸前まで行って、あるいは実際に落ちてみて、つぎにどうしたら落ちないかが見えてくる。しかし壁の高さは20~30mあって、いくつもある核心部分をクリアするには、パワーの保持も必要だ。パワーがあればクリアできる核心もある。

 さらにボルダリング。これはすべてがパワーとテクニックに収斂させている。落ちることはいとわないし、パワーの持続なども考えない。

 こうしたクライミングのジャンルの前提が、それを行うクライマーの身体の動き、身のこなしを決めていく。結論からいうと、<安全・安定性>、<持続・省力性>、<運動域やパワー、テクニック>、これらの要因は、必ずしも互いに協調するわけでなく、時に相反して、阻害しあう。

 端的に言って、安全性に配慮した動きは、運動域を狭くし特殊なテクも排除する。持続・省力性は余計なヘッジ(安全保障)をなくす結果、安定性を損なう場合がある。すでに見たように2点支持がそれだ。そしてパワーやテクニックに集中すると、安定性も持続性も留保できない。当然のことだが、クライマーとして自分が目指す対象に合致した動きをする。そうでなくては目標達成のための方策として、効果的、効率的とは言えないだろう。