8-8.クライミング・身体の動きの歴史ーー半世紀前の新発見が何か、知っていますか?

 

 

 50年前におきた、クライミングの身体の動きの新発見を知っていますか?クライミングは、それ以後、急速に進化し、何度かの変遷をくぐって、今日にあるのです。

 ウインパーのマッターホルン登頂とか、ヒラリーとテンシンがエベレスト登頂した、とかいうのは、確かに大きなエポックでしょうが、私のようなへぼクライマーにはあまり関係がありません。

 私が言う新発見と歴史は、どこかにそれを証明する記録があったり、文献があるわけでもありません。また、この歴史の事実は実証的に解明など出来るものでもありません。

 しかし、その歴史はわたしたちの身体の中に、クライミングの中に息づいて、目の前にあるのです。これほど、身近で、重要なことは無いのではないでしょうか?

 

   にも拘らず、誰も気づかず、誰もそのことを言ったためしがない。なぜこんなことを気づかないのか、私は不思議でなりません。

  これまでの私の論考で、わたしの言わんとするところが、なにか、勘のいい方は気づいているのではないかと思います。

 

 

 私のことですから、カラビナやクライミングシューズの考案とか、人工壁ができたとか、そんなことではないのです。そう、私たちのクライミングの身体の動きに新しい発見があったのです。クライミングの歴史ですから、器具の歴史でも、難しい壁を登れた、とかいうのではなく、身体の動きに発見があったのです。

 

 それは何か?「個体発生は系統発生を繰り返す」ということ知ってますか? 胎児は母体の中で、魚から両生類、さらに哺乳類を経て、人類=赤ちゃん、となるのです。

  あなたが1年前に始めたクライミングは、100年前のシステムから、50年前の第1次革命を経て、いま第2次の革命の入り口にある、というのが、わたしのクライミングに対する考えです。あなたの方法が間違っていなければ、あなたはクライミングの歴史のまっただなかにいるのです。

 

 では、まずあなたの技術の進歩、個体発生を見てみましょう。1年前、あなたが、壁にはじめて取り付いたとき、どのように登っていたかと言うと、2足歩行ないし手足を使ったよじ登りでしたね。これは、いわばウインパーの100年前の登りでした。

 でも、単純によじ登るだけでは、難しい壁は登れない。そこで、いろいろな技術を身に付けたと思います。人によっても違いますが、ルートフリーに進んだ人がいると思います。ルートフリーは、落ちないことが前提ですが、登っていると疲れてくる。

 

 そして、そのとき気がつかずにやっていたのは、重心をはずす「寄りかかり」の方法だったのです。カウンターバランスとか、フラッギングなんかも、結局、寄りかかって力をセーブするフォームです。私のこのHPでは、それをティルティングと読んでいますが、これらすべて、「寄りかかり」なのです。寄りかかれば、パワーセーブができます。

 ウインパーの時代も、意識はなかったかもしれませんが、彼も

寄りかかってパワーセーブしていたはずです。それを、意識して、クライミングの方法として採り入れたのが、ルートフリーでした。

 

 実はルートフリーというルールが考え出されたのではありません。寄りかかりの発見、意識化がルートフリーという登り方を可能にした、あるいは創造したのです。

   これが私の言う大発見です。だって、それまで、無意識だったかもしれませんが、誰も、これをひとつのテクとは夢にも思わなかったのです。「寄りかかり」がルートフリーを生み出したのです。そうでないとルートフリーは登れません

 

 そして、これが第1次革命だとすれば、いま第2次革命が進行中です。そう、ボルダリングです。

 ボルダリングとは何だと思いますか?このスポーツは登るだけ、つまりそれまで、クライミングを成立させるすべての条件、すべての前提を取り除いて、登ることだけにしたのです。

 安全性も、省力の要因も、すべてクライミングから取り去って、純粋に身体の動きだけを追求することにしたのです。この方法は、タブーも前提もない、何でもありなのです。

 ちなみに、第2次革命のボルダリングにおいても、第一次革命の「寄りかかり」の動き方は、オーバーハングなどで生きています。

 

 ただ、ここまで来ると、クライミングが変質する可能性があると思います。極端な話、なんでもありなのだから、もう、登るということも前提にならないんじゃないか、と思っています。下ったり、飛び跳ねたりも(コーディネーション)・・。そう、ジムナスティック、器械体操です。

 「何でもあり」ということが何を意味しているか、というと、外部条件、動きの目標などを取り払い、究極の身体の運動の可能性を追求しようということです。 

 しかし、ここまでくると、何もクライミングとか、登りとかに、こだわる必要などないように思うのです。ここから、揺り戻しが来るように私は思います。それはオリンピック後に始まるでしょう。

 ボルダリングの未来については、00-00を見てください。私の考えを書いています。