2-6.クライミングの上達曲線 ①・・・       とつぜん登れるようになる理由

 

 

  下の図は、クライミングの学習者がどのようなスピードで上達していくかを示した「クライミング上達曲線」である。まず1図のルートクライミングは、ひと目、見て分かるように、グラフはかなり特異な曲線を描く。

 技術的に難しくなると、上達は時間投入量に正比例せず、グラフが寝てくるというのはわかる。しかしこのグラフは、あるところにきたら突然立ち上がっている。クライマーはとつぜん登れるようになるのだ。

 ただし、この上達曲線には、あくまで学習のコンセプトに誤りがなければ、という前提があって、まちがえると、破線のグラフで示しているように、停滞局面に入ってしまう。

 

 まわりを見渡すと、同じように始めて、理由もなく、登れる人と、そうでない人がいる。これは、クライマー誰しも感じる、初期の体験ではないだろうか? つまり、上達曲線に分岐があって、そこで、いわゆるうまい下手の違いが最初に現れる。

 さて、一方で次の2図だが、これはボルダリングの上達曲線である。この方は、難度が増すと、上達曲線はどんどん寝てくるが、それでも時間投入量に比例している。素直な曲線だ。 

 

 

 ボルダリングの曲線は分かるとして、ルートの場合、なぜ、こういう特異な曲線になるのか? その答えはかんたんだ。

 それは、このルートクライミングの上達の過程で、身体の動きの質に「裂け目」があるからだ。このスポーツが上級にいたるまで、同質、同パターンの身体の動きが連続していれば、正比例のグラフになる。

 しかし、それは積み上げていけば、やがて高みにーーという中学生レベルの発想だ。現実が複雑になると、そのように単純化して考えることはできない。ルートが一筋縄ではいかない理由も同じだ。

 

 しかし、クライミングの動きの裂け目やねじれは、表面をぼんやり見ているだけでは分からない。いままで誰も言わなかった、その構造を理解してもらうために、私は、この論考を書いている。

 

 上図(1図)を具体的に見ていこう。

 

 このグラフには時期的に3つのステージがある。まず、スタートから10a,bまでが第1期である。そのあと急速に立ち上がり10b~11a,bまでが第2期。さらに、11b,c~以後が第3期である。

 もちろん、各期の境は人によって違っている。あくまで、おおよその仕分けと考えてほしい。

 ともかく、3期のうち、もっとも大きい裂け目は1期と2期のあいだにある。それは、身体にかかる重力方向の捉え方、その捌き方の転換(重力パラダイムの転換)にともなうものである。

 

 1期の登りというのは、立ち上がり、歩き、登りーーという日常の身体の動きの延長で、地球の引力にさからって、身体を高みに上げていく動きであり、その代表格が正対と呼ばれるものである。しかし、このような重力方向に対して、真正面からの抵抗しようとする方法には限界がある。さらに高難度を目指すには、従来にない方法を考えなくてはならない。

 

 それが第2期である。この期の身体の動かし方は、重力にまともに逆らわず、身体の構造の有利な特徴を使って重力を支え、あるいは回避し、逃がす。

 もちろん、どのように支えようと、かかる重力は変わらない。しかし、方法次第で身体の支える力、有効な動きが大きく違ってくる。これを「重力の捌き*」と言っている。

 クライミングは、ボルダーにおいても結局、この身体の有効な動き=「重力の捌き」の追求であり、そこに面白さがある。筋力はあるにこしたことはないが、けっして、筋肉自慢のスポーツではない。ここで間違えると「筋肉亡者」になる。

 

 本稿を読み進めていただければ分かるが、クライミングはいかに重力の影響を回避し、力を使わずに進み、力を抜けるところで抜き、効果的なレストをするか、それも動きの中で常態としてそれを実現するかが大切か、が分かると思う。

 ルートは持久力だ、という通説が、いかに表面的なものかが、納得できるはずだ。持久力も瞬発力も、ともに力ではないのか? しかし登りは力ではない。「筋肉亡者」になってはいけない。

 

 各期の登りのコンセプトと具体的な説明は、長くなるので節を改め、次の2-7でまとめているので、続けて読んでほしい。