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この節は、クライミングにおいて、「登り」という身体をある高みや、一定方向に動こう、とする場合の身体の使い方についての話である。
最初にお断りしておくが、最後の「ディール」の部分を除いて、この話は、クライミングの上達に貢献するものではない。たんに「われわれは身体をどう動かしているか」の考察に過ぎない。私の趣味で書いているようなものだ。
したがって、読み飛ばしてもらってもいい。ただ、一番最後の部分は、クライミングのみならず、スポーツ一般に言えることであり、クライミングのビギナーが、基本的な思い違いをしている部分でもあるので、そこだけは、ざっと目を通してほしい。
さて、クライミングの「登り」だが、これを分類すると、おおよそ4つある。
まずひとつは、「注力」とでも言ったらいいだろうか、ある1点ないし2点、限られた部分に力を集中し、壁に身体全体の重みを伝達して、身体を上げよう、動かそうというものだ。
ごく一般的なもので、誰もがこの方法で、登っている。手でホールドを引いて身体を進めるーー。足で踏みこんで身体をあげるーー。一般的すぎて、フォームで例示するのも難しいが、あえて言えば(ハイ)ステップなどがそうだ。
つぎは、「協調、協働」とでも言うべきもので、手足2箇所以上の支点に同時に荷重、ないし力を入れて、身体をあげる。フォームの中には、こういう動きは見当たらないが、身体の持ち上げとでも
言うべきもので、懸垂の動きが
これに当たる。クライミングで
は、これを変形して使っている。
3つ目は、手と足で、力の方向
が反対である「押し」と「引き」
を利用し、身体を支え、同時に
起こすことで高度を稼ぐ。典型
はレイバックである。
以上の3つの動きは、一部例外
があるが、モードで言うとA,
Bモードで行われる。また、実
際の動きでは中間的なものもあ
る。
そして4つ目がわたしが「ディール(取り引き)」と名づけているものである。これは一定の姿勢を取ったとき、状態としてすでに十分である身体の、その余分な状態を減殺し、そのことによって、代わりに他の可能性を広げようとする試みである。
もうすこし噛み砕いて言うと、安定状態にある身体を、あえて自らから崩し、不安定な体勢を作る。しかし、これによって、身体を進めたり、運動域を広げたり、ときには、レストの効果を得たりする。
気がつかないが実は、われわれが身体を動かすとき、いつも、このを行っているのだが、それを言うと極端な一般化となるので、ここではCモードということで話を進める。
つまり、Cモードが狙い、実現しているのは、この「ディール」の効果に他ならない。いちばん簡単な動きの例から、そのことを説明してみよう。
下図はBモードとCモードの比較である。Bモードでは届かなかったホールドを取る手が、Cモードでは身体を倒すことで届いている。この場合のCモードは腰の重心をはずすために、身体はやや不安定な状態に陥っている。
Bモードの方は、重心が両足の間にあるわけだから、安定性は十二分にある。Cモードでは1本足になり、手の引っ掛けで倒れるのを防いでいるわけで、手がはずれるなど、失敗すると、身体は崩れる可能性がある。
ここで、何が起きているのか?文章で説明するより、数式で表わした方が分かりやすいと思う。
<Bモード>
安定性:10 + 手の伸び:8
<Cモード>
安定性:5 + 手の伸び:10
つまり、Bモードまでの安定性は不要なので、身体を崩すことで、手の伸びを獲得しているわけだ。要するに、自分の有利な状態を、あえて差し出し、放棄することで、欲しいものを手に入れる。 最初の状態は、やや不安定さに踏み込むことになるだろう。しかし、そのことで、いままで、かろうじて掴んでいた、つぎのホールドが、十二分の余裕の状態でつかめる。そのときの安定感は、最初に入った不安定感による不利に比べると、格段の有利な条件を得たことになる。
要するに、これはトランプの言う「ディール」(取り引き)である。
こうした身体の動きの過不足の取り引きは、他のモードにもないことはないのだが、あえて不安定状態に入るなどの、重心を使ったディールはCモード特有のもので、典型的に現れる。
逆に言うと、絶対の安定性にこだわって、自らの有利な状態を一歩も譲らず、このディールを拒んでいれば、ほしいものは手に入らない。このときのほしいものとは、遠くのホールドである。
要するに、Cモードというのは、いわばディールの動きであり、常に安定を崩しながら、その譲歩(犠牲)によって、遠くのホールドを余裕で取ったり、身体を有利な方に進めたり、さらにより疲れの少ないレスト体勢を得たりする(具体的な効用は文末のコラムで説明)。
つまり、Cモードというのは、カウンターやフラッギングだけの一部分の動き方でなく、登り全体の中で、<損をしながら得をとる>動きである。
このディールの動きができなければ、身体のアビリティ(能力、可能性)は狭いままで、登らなくてはならない。クライミングでは、ディールをして始めて、登りのかたちが進み、動きが拡大する。
1章で、スキーや自転車の場合の重心の動きを説明した。クライミングにおける重心の特殊な動きというのは、自らの安定を崩すことをあえて選び、他の有利な条件を獲得する「ディール」なのである。
このディールができないと、登れる壁も登れない。登りというのは、何がしかの壁との取り引きなのであり、一切の取り引きを拒んでいては、結局、壁の方も登らしてはくれないのである。
クライミングで、登りが固まってしまっているビギナーの陥りやすいのが、こうした状態である。
こうしたら解決するという解決策はないが、言ってみれば、「安定の中に安住するのではなく、不安定な姿勢でも、それを維持できるスキルを身に付け、そのことで可能性を見つける(ディールする)」ということだろうか。
(コラム)