・パラダイム転換というものを知らないクライミングの考え方

 ・目的の違う登りの力学を峻別できない認識不足」」

 

 以上の2つに、現象として「刷りこみ現象」が加わっているというのが、現在のクライミング世界の現状である。

 そして、この解決が新しいクライミングの世界をスタートさせる

 

 

 

 

 

 

この節でひとつだけ指摘しておきたいのは、あるジャンルの身体の動きは、他のジャンルの身体の動きを阻害するという点だ。

 安全性に配慮した動きは、省力性の動きを阻害し、身体能力の発揮も押しとどめる。省力性の身体の動きを追求しすぎると、安全性を発揮できないし、身体能力の強度の発揮にも十分こたえない。おなじように、身体能力の強度の発揮をすれば、ときに安全性を損ない、パワーを使いすぎて、省力性にも合致しない。

 これも当たり前のことで、クライマーとしては自分がトライする対象に合致した身体の動き(フォーム)を習得しなくては、すくなくとも、目標達成のためには効果的、効率的とはいえないだろう。

 ただ、ここにひとつ問題点がある。身体の動きは頭で考えてチョイスするようなものではなく、ほとんど摺り込み現象で反応するものだ。ひとつの情報が入力されると、ほとんど反射的に一定の動きを出力するようになる。

 つまりひとつの動きが摺り込まれてしまうと、とくにそれと類似の動きができなくなる。ひとつの動きは他の動きを干渉する。

 脳の学習から言うと、ひとつの身体の動きは他の類似した身体の動きを妨げ、習熟の阻害要因として働いてしまう。

 ようするに、これらのことはクライミングでよく言われるムーブといったふうな個別技術レベルの話しでなく、どちらかというと、身体の基本的なバランス感覚、危険感覚などをベースにした身体の動きである。したがって、このような基本的な感覚のうえに、構築されている身体の動きを変えるには相当の時間がかかる。それは、いままで積み上げてきた身体の動きの経験をリセットし、再度、構築しなくてはならないためだ。

 たとえば、クライミングを始めたばかりの人が、ときに長い経験のあるクライマーを短期間で追い抜いてしまうことなど、その例だ。この経験のあるクライマーは従来のセオリーである一定の身体の動き(たとえば正対)にとらわれて、パラダイムチェンジしている新しい動きを取り入れるのに苦労するためだ。

 人間の身体は一定のパターンに慣れる傾向があり、このように固まってしまった身体の動きの集積(コンプレックス)をわれわれは「くせ」と呼んでいるわけである。話はそれるが、クライミングを始めようとする人にとって、最初のスタートが大切だ。とくにこのスポーツが危険性を持つことから、これがわれわれの感覚に一定の作用をし、間違った方向に身体の動きを定めてしまう傾向がなきにしもあらずだからだ。

 さらに、すこし皮肉な言い方をすると、ある一定の動きを練習すればするほど、他の動きができなくなるということがある。正対の練習をすれば、カウンターは出にくくなる。スラブばかりやっていると、ハングは下手になる。その逆も言える。

なぜか、というと、動きのちがうもの、この場合はあべこべの動きが摺りこまれるからだ。

 いずれにせよ、違った身体の動き、つまり、ときに相反し、ときに類似であるためにかえって区別しにくい身体の動きを、状況に応じて、スイッチし、チョイスするのは容易ではない。こういう変化に対応できるアスリートを、われわれは運動神経が発達しているとか、呑み込みが良い、応用力があると呼んでいる。