8-1.やり方次第で急速にうまくなるーークライミングの上達曲線

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 ふつうスポーツは、少なくともビギナーレベルから中級程度までは、努力するほどレベルアップする。練習時間と技術レベルが正比例とまで言わないが、右肩上がりで、傾斜に連続性がある。

 ところが、クライミング、とくにルートフリーにおけるこの上達曲線は、他に見られない特異な曲線を描く。

 

 上図はルートフリーの上達曲線である(ボルダリングも、ここまでの変形はないが、これに準ずる変形はある)。

 まず、スタートから一定レベル(①)まで、ほぼ正比例だ。そこから勾配が急速に立ち上がる(②)。そして、しばらくすると、再び傾斜は緩やかになり、寝てしまう(③)。

 

 このレベルアップの過程は、3つに分類される。スタートから、10a~10b までが第1期(①の部分)で、10b~11a,b が第2期 (②の部分)、11b,c~が第3期(③の部分)である。各期の境目は人によって違っているし、曲線の傾き方にも違いがある。

 

 なぜ、このようなことになるのか?それは、それぞれの期の登りの同質なものとして、連続的に続いていないからである。各期の身体の動かし方に、一種の裂け目がある。

 つまり、その期に必要な登りの質、身体の動きを運よく獲得できれば、グレードは一気にあがる。そうでなく、それまでの登りを脱皮できず、引きずっていると、思わぬ時間を費やすことになる。

 そしてスタートしたときの登りを脱皮できなければ、上達はそこで止まってしまう。本人はなぜ上達しないのか分からず、また、クライミングの本当の面白さを実感できず、やめてしまう人もいる。

 もっとも、高グレードを登れるクライマーも、このことを自覚的に分かっているわけではない。彼らも、ただその過程を通り抜けてきただけにすぎない。いわく「技術の差ですよ」と答えが返ってくるが、それは回答にはなっていない。

 なぜそうなるのかは、後で述べるが、世の中には勘のいい人とそうでない人、器用でないがあとで大成する人、そのときの把握をたまたま間違えた運の悪い人、そうでない人、身体の動かし方の人によるちょっとした違いーーなどで、この差が出るだけなのだ。だから、ときに非力な若い女性が男性を圧倒したりする。

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 そのことは、そのことでクライミングの面白さなのだが、この謎に回答を与えるのが、筆者の仕事ではある。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

要するに、クライミングの学びが一様でなく、

 

 

習得すべきフォームの質が、各期で違っていて、それを正しく理解しているか、どうか、なのである。

 (作成中)

 

 

5.クライミングの上達曲線

 

 クライミングの上達で他のスポーツと異なる、大きな特徴は上達曲線が連続性にとぼしく、変形になっていることだろう。ふつうスポーツは、少なくともビギナーレベルから中級あたりまで、練習すればするほど、その投下した時間に応じて、レベルは上がっていくというのが多い。

 ところが、クライミングの上達は図のように特異な曲線を描く。

スタートから一定程度までは、練習時間とレベルは正比例(aの)だが、そこから勾配は急に立ち上がる(bの部分)。そして一定レベルからは、再び曲線は寝てくることになる(cの部分)

 以上のクライミングの身体の動きは次の3つの時期に分類される。グレーディング別で、まずスタートから10a10 bまでが第1期、10b11b前後までが第2期、11c~以上が第3期と分類される。もちろん各期の境目は人によって違っていて、あくまでおおよその仕分けと考えてほしい。

 

 何故このようなことになるのか?結論からいうと、フォームの習得がうまくいけば、この活用幅はひろくて、飛躍的な上達が期待できるからだ。ただし、これに失敗すると、bの急勾配に入ることが出来ないことになる。そうしてこういう人たちは、ついにクライミングの本当の面白さを実感できずに、やめてしまう。技術の習得時期について触れておくと、bの時期はもっぱらフォーム習得をおこなう。いわゆるムーブは早くてもbの後半からおこなう。それより早く練習する必要はない。現在は、いろいろムーブについてのノウハウを得る方法(本、雑誌、ビデオ、インターネット)があり、熱心な人ほど、それを勉強する。しかし、フォームを的確に教えているものはない。つまり、フォームを学ぶべき時期にムーブを学ぶ。ムーブの方はあるひとつの形を説明しているだけなので理解しやすい。その結果、しっかりしたフォームの習得に支障がおき、登れない、ということがよくある。フォームの破綻をムーブ(力)で乗り切ろうとする。これではいつまでたっても高グレードは登れない。

 したがって、以上のような傾向もふくめて、この上達曲線は急速に上達できる、という反面、失敗も大いにあり、ということを示している。

 ちなみに、勾配が急速に立ち上がる時期は、10a前後、立ち上がった後、ふたたび緩やかになるのは、11b前後である。人によって、運動神経、身体能力によって違うことは言うまでもない。なお、11b~c以上になると、どんどん傾斜はゆるくなる。時間をかけてもなかなかレベルが上がらない、ということになる。これは他のスポーツでも同じだろう。

 

 

 

14(ルートクライミング上達曲線の3つの時期)最後に(ルート)クライミングというスポーツの身体の動きをグレードの視点から概括しておこう。もっとも注意しておきたいのは、クライミングの上達曲線に対応する身体の動きに、一種の裂け目があることである。つまり、同質のトレーニング、同質の身体の動きを単純に積み重ね、繰り返しても、上達の高みには到達しない。このクライミングの特徴を無視し、自分のレベルに合致しないトレーニングは、効果的でないどころか、ときには無駄な回り道、迷い道になることもある。これは上達のためには最も避けたい行為である。

 

 クライミングの身体の動きは次の3つの時期に分類される。グレーディング別で、まずスタートから10a10 bまでが第1期、10b11b前後までが第2期、11c~以上が第3期と分類される。もちろん各期の境目は人によって違っていて、あくまでおおよその仕分けと考えてほしい。

 

 繰り返すが、クライミングというスポーツは、上達曲線と身体の基本の動きが、各レベルで連続的に一直線に並んでいないのである。とくに第1期と第2期には身体の動きの裂け目があり、多くのビギナーの上達の行き詰まりは、この裂け目で起こる。

 

 

 

15(ルートクライミングの上達の裂け目)まず1期と2期の間の身体の動きの裂け目についていうと、これは身体にかかる重力方向の捉え方、そして身体のさばき方の転換でおきる。われわれは日常的に地球の引力に引かれ、それに抵抗しながら生活している。立ち上がり、歩き、登り――というのが、それである。1期のクライミングでは、この重力の方向に逆らって、身体を高みに上げていく。日常の身体の動きの延長である。具体的には正対と呼ばれる動きである。しかし、こうした重力方向に対する真正面からの抵抗には限界があり、さらにこう難度をめざすには、限界をを突破する従来にない方法を考えることになる。

 

 これが2期であり、結論からいうとカウンターバランス、身体の切り返し、フラッギング、ダイアゴナルなど、フリークライミングの各種のフォームである。これらが何故有効かといえば、いずれも重力にまともに逆らわず、人体の特徴を使って重力を支え、回避したり、逃がしたりする。つまり重力対応が、いわゆるムーブというテクニックのカテゴリーと、基本で異なるところである。

 

 1期の正対が、われわれ人間が地上で生活する際の日常の重力の捉え方だとすれば、2期の動きは、いずれも身体の常識的な通常のバランスを意識的に崩し、そのアンバランスを利用して、重力を逃がしたり、身体の安定を得て、登りのパフォーマンスを得る。かみくだいて言うと、一種の非日常なパラドキシカル(逆説的)な身体の動きである。

 

 各フォームには、それぞれバランス転換とそれによる重力を回避しあるいは逃がす力学、あるいはシステムがある。しかしこの説明は込み入っていて(身体の動き自体はシンプル)、実際のクライミング習熟とはあまり関係がないため、ここでは触れない。

 

 

 

16(意識的にバランスを崩すことで登りのパフォーマンスを得る)問題は、このいずれの動きもわれわれにとってパラドキシカル(逆説的)で非日常的であることだ。つまり、意識的にバランスを崩すなど、身体が日常とはまるで違う方法で重力を捉えるわけで、当然、それに不安定を感じ、その姿勢に思い切って身体を預けられない。高所であるだけなおさら、恐怖感があり、思い切ったフォームに入ることができない。これが、1期から2期へ進もうとするクライマーのメンタルおよびフィジカルな状態である。

 

 簡単な例をあげておく。、いわゆる「足きり」である。これはフラッギングのフォームなのだが、なぜ足きりが登りに効果があるのか?足きりをする前の身体の姿勢は、切らなくてはならない足(下方にある)に重心が残り、身体が進みたい方向と反対に傾く結果、身体が後方に残ってしまう。これを足きりによって一方の足に乗り切り、進みたい方向に持っていくと同時に乗り込みの足に身体を預けることで、身体が安定する、そして、身体を起こす上体の体幹の力なしに、次のホールドが取れるのである。

 

 しかし、日常の重力や動きに慣れてしまっているわれわれの脳は、2本足で立つ方が安定しているように思っていて、このフォームに入れない、あるいは思いつかない、ということがおきるわけだ。

 

 いずれにせよ、私があげた2期のフォームは、意識的に身体のバランスを崩すというようなものであって、1期の方法論からすれば、タブーとされるものであり、このタブーを受け止めてうまく乗り越えることができず、第2期に進めないクライマーが出ることになる。安全を重視する真面目なアルパインクライマーの多くが、この裂け目を乗り越えられない、ということが起きてしまう。

 

 

 

(  )(カウンターバランスの逆説的パフォーマンス)その裂け目、あるいはタブーを、2期のメインのフォームであるカウンターバランスについて見ておこう。われわれの脳は一本足になったり、さらにそれで身体を傾けるという動きは当然、不安定、危険と本能的に感じている。しかし、両足の間から身体の重心をはずすことで、身体を倒すと同時に片足踏み込み、立ち上がりとなり、登るパフォーマンスを実現し、遠くのホールドも取ることができる。

 

 これに反し身体が安定している(と脳が感じている)正対にこだわっていると、パフォーマンスも生まれにくい。片足をスタンスに置いたまま、一方を次のスタンスに乗せ、重心を移すという登りのパフォーマンスは実に弱い。さらにリーチを使う場合も片腕リーチだけだ。カウンターの場合は、両方の腕のリーチを使える(支えとなる腕のリーチは100%は使えないまでも、7080%使える)。したがって目の前のホールドしか取れない。

 

 補足すると、両足をスタンスにのせたまま、身体を横向きにする(カッコつき)「カウンター」は、この点から言うと、脳が安全と感じる両足立ちで横になっているだけで、パフォーマンスを生み出し、遠くを取りにいくカウンターのフォームではない。わたしが2本足のカウンターを評価しないのは、まったく練習にならないどころか、フォーム誤解の原因となるからである(ただし、2本足カウンターも実際のクライミングではある。言いたいのは、間違いではないが、この時期のクライマーにとって練習にならないし、逃げ道をつくっているだけで、練習に逆効果であるためである)。

 

 いずれにせよ、2期に入るためには、このように従来の日常型の重力把握とそれによる身体の動きから脱皮し、意識してバランスを崩す、非日常型の重力把握と身体の動きに入らなくてはならないし、その習得に練習の重点は置かれるべきである。

 

 

 

 

 

172期のトレーニング=持久力が問題ではない)2期では非日常の動きを自分のものにし、フォームの精度を上げて、クライミングを高度なものにしていく。なお、いわゆるクライミングのムーブ(クロス、ヒールフック、デッド、ランジなど)の習得は、2期に入る前後からで十分である。あまり早すぎると、フォームとの間で混乱が生じ、フォームの精度アップに悪影響を与えかねないからだ。また、ボルダーの練習にはルートクライミングの練習にはならない要素も含んでいるので注意しなくてはならない。同じカウンターバランスでも、ボルダーとルートとは動きが違う(ボルダーは1本足フォームはあまり使わない)ので、習得に混乱が生じがちである。

 

 たとえば、ボルダーの長ものがルートと同じだと考えている人が多い。非常に境界が微妙で分かりにくいのだが、練習の仕方にもよるが、長ものは持久力の練習の色彩が強く、重力を逃がす練習にならない場合もある。実際、ボルダラーには「ルートは持久力ですよね!」という人がいる。しかし、このように言う人はルートクライミングが良く分かっていない。ボルダーは短距離、ルートは長距離なので持久力、というふうな理解である。もちろんそのような要素もある。しかし、説明は繰り返さないが、いわゆる2期の動きは、持久力でなく、重力の逆説的な把握と身体のさばきであって、これがルートの2期の練習なのである。

 

 あるクライマーはボルダーはプラスの積み重ね、ルートはマイナス、という表現をしていた。瞬発力にせよ、持久力にせよ、力の使用である。しかし、ルートの2期は重力は空くの転換、そして鉄棒理論やレストの理論(未定稿)にもあるように、むしろ力を抜くことにある。どこで、重力の影響を回避し、力を入れないで進み、力を抜き、効果的なレストをするか、である。このように書くと、ルートは持久力という指摘が、いかに表面的な認識かが分かると思う。

 

 したがって、ボルダージムの長ものは主に持久力養成が中心であり、ルートと同列視できない。ボルダラーが設定している以上それも当然だろう。もちろん、ルートクライマーの持久力養成には役立つ。しかし、1期レベルのクライマーにはこの練習は誤解しない程度にトレーニングしてほしい。長ものとルートを同一視して、持久力でルートを解決しようとがんばっているとすれば、ルートのクライミングにとってはマイナスだ。ルートはボルダラーが考えている「ボルダーの長いもの」というような、そんなものではない。

 

 

 

 さらにもうひとつ「刷りこみ」という点について、ボルダー長ものを例にとって、注意しておきたい。かりにボルダーの長ものをカウンターを知らないクライマーがれんしゅうしていたとしよう。カウンターで登るところを正対で登る練習をするわけだ。こういう練習を繰り返していると、神経回路に正対の動きが刷りこまれる。危なくなっても、ということは、なるだけバランスを崩さない動きが回路に入る。結果として、意識的にバランスを崩す、2期のフォームを学ぼうとしても、拒否反応が出てしまう。これでは何のための長もの練習かわからない。私が「上手くならないように練習している」と指摘するのは、このためである。

 

 

 

18(第3期からクライミングも普通のスポーツになる)では第3期とは何か?結論から言うと、第2期と第3期の間には、1期と2期にあったような裂け目はもうない。要約すると、非日常を習得しながら、11b前後までは、普通の運動能力を持っているクライマーであれば、誰でも登れるということになる。つまり、それ以上は、身体能力と技術の向上にかかっており、こう言っていいなら、一般のスポーツのトレーニングと変わらないものとなる。つまり、クライミングの特異性は、1期と2期の裂け目であり、このようなものは他のスポーツでは見られないので、ここで誤解が生じると、スポーツマンで運動能力があるのに、登れない、ということが起きる。

 

 これは、筋力がある男性クライマーで時に起きることであり、アルパインクライマーでも同じようなことが良くある。これは、自分に実績があるため、1期と2期の裂け目を理解できず、従来の方法論(1期)を捨てきれずにいるためであろう。

 

 いずれにせよ、2期から次に進むためには、筋力、身体のひねり、開脚などの柔軟性などの日常的なトレーニングをしていかなくてはならない。

 

 なお、ボルダラーがルートクライミングに失敗するのは、もともとボルダリングでは2期の過程(意識的にバランスを崩す)の習得が不必要で、そのまま1期から3期に進むためである。ボルダリングでは、それでいいのである。この視点はあくまでルートクライミングからの視点にすぎない。

 

 最後に次の項の「世間で耳にする、いろいろな思い違いや雑音について」で指摘している「自然の克服としてのクライミング(陸上競技)」、「超自然の動きをするボルダー(体操競技)」の境界はどこにあると考えればいいだろうか?この陸上競技と体操競技、つまり自然物に対する動きと超自然の動き、という分類と、これまで説明してきたフォームとしての1期、2期は、この分類は物指しが違うと考えてほしい。ただし、体操競技としてのボルダーの習得は1期の後半から2期で行うのが基本となる。私が言っている「日常」、「非日常」のカテゴリーはなお自然界での身体の動きに分類される。そして、体操競技としてのボルダーは「日常」、「非日常」の分類を使った私の考えでは、奇妙に思われるかもしれないが、

 

「日常」に分類されると考えている。なお、この項の16)-19)は実際のクライミング上達とあまり関係がないので、はしょって頂いてもかまわない。また、設定している概念は、なお不完全で、私自身、今後検討しなくてはならないと考えている。反論や違う考え方を提示いただければ幸いである。

 

 

 

202期までのルートの上達は身体能力に依存しない)ルートクライミングとボルダリングはどこが、どう違うのだろうか?ルートはすでに(  )で見たように、上達曲線と身体の動きに裂け目があった。しかしボルダリングには裂け目がない。いろいろな技術を蓄積し、筋力を鍛えていけば、それはそのまま上達につながる。ただ理屈としてはそうなのだが、これを逆に見ると、ボルダーの上達は身体能力に依存し、身体能力次第だということを意味している。努力すれば結果が出ると言えば、そのとおりなのだが、そもそも、人間はみな生まれつき同じ身体能力と可能性をもっているだろうか?

 

 そういうことはありえない。身長、体格ひとそれぞれだ。いちばん分かりやすいのは、リーチの差であろう。リーチ差が20^30cmもあれば、優劣は明らかだ。リーチ差を感じさせないルート設定も一定程度可能だ。しかしせいぜい45年しかクライミング暦がない街中のクライマーのあんちゃんは登り自慢であっても、そこまでの配慮をする頭はない。あるジムなどに行くと、180cm近いスタッフばかりである。私などは、そんなジムに行っても仕方がない。要するに、ホールドに手が届かない。

 

 ではルートはどうか?( )で見た2期のカギとなるルートクライミングの身体の動きの特徴を思い出してほしい。意識的にバランスを崩すとか、重力を逃がすということを力説している。そのとき、筋力とか、身長とか、体格とかが関係してくるだろうか?否である。特別の身体能力がなくとも、11b程度は登れるということを意味している。何が問題となるか?要するに、身体のさばき、フォームの精度、レストのとり方等々である。

 

 これは誰でも習熟可能、極めて平等な上達の機会を与えてくれるスポーツである。それは、非日常の習得が、上達を決めているからで、この非日常は、神経回路の変更であっても、身体能力とはほとんど関係がないためである。したがってルートクライミングの上達は経験と練習次第であり、卑近な言葉で言うと「慣れ」ということになる。ただし、それは2期の終わる11bまで。それ以後は、他のスポーツと同様、身体能力のアップが必要で、他のスポーツと同様のトレーニングが必要である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 ――なお以上のクライミングのフォームの説明は、インドアクライミングをあくまで念頭にしたものであって、アウトドアの場合は、違ってくる。とは言え、インドアの練習はアウトドアの上達におおよそのところ有効である。

 

 

 

(世間で耳にする、いろいろな思い違いや雑音について) 

 

 

 

1)すでに説明したフォームの習得で10c~11aまでは登れるはずである。もちろんフォームの習得は理屈ではないので時間がかかるだろう。とくにこれまで、何がしかの刷り込みがあれば、さらに時間がかかる。しかし初級者は複雑なムーブなど勉強する必要はないし、むしろフォームの磨きには阻害要因になると思われる。ムーブと言われるものは11aを登る前後から勉強しても遅くはないし、そのほうが良い。

 

 

 

2)ボルダーとは何か、有名クライマーに質問したが、これに真正面から答えられるクライマーに、私はお目にかかったことがない。当初、私たちは自然の岩を相手にして、このように言っても良いかも知れないが、自然界に対応する、基本の動作のクライミングをし、登りを克服してきた。つまりアルパインクライミング、そして外岩のルートクライミングである。ところが、これに人工壁という新しい要素がその後に加わった。つまり、人工壁が加わることで、自然界にない、超自然の動きがひとつの潮流となってきた。

 

 これを、たとえて言うと、トラック上のランニング、あるいはハードル走、3段跳びといった、陸上競技での自然な身体の動き(アウトドアクライミング)に対し、体操競技などに見られる、3回転ひねり、ムーンサルトなどの超自然な身体の動き(インドアボルダー)が加わってきた、と考えると理解しやすい。たとえば、インドアボルダーで「手に足」は珍しいものではない。しかし、これは、あくまで人工壁のもので、自然界で必要ない。「手に足」などの技術がなくとも自然の岩は登れる。3回転ひねりなどしなくとも、富士山は登れるし、また必要ない。

 

 

 

3)徒競走など陸上競技と体操競技は、競技としては別個のものだ。しかし現代のクライミングでは、この2つの要素が同居していて、さらに徒競走(ルートクライミング)の上達のために、体操競技(自然界にない動きのボルダー)が動きが有効性をもっているという状況にある。このことがクライミングの特異性となっているし、技術の習得方法が揺れていて、なお理論が未成熟である原因となっている。ただし一方で、この有効性と無効性は背中合わせの側面もある。ボルダーで「手に足」の練習をしても、90%外岩には有効ではない。10時間「手に足」の練習をインドアでやるより、外岩でスメア(代替解決法)を1時間練習するほうが、よほど外岩の攻略には効果的だ。確かに「手に足」は運動能力向上には役立ち、身体の動きに幅を与える。まさしくスポーツ的だ。しかし、外岩を登る即必要な技術としては、ほぼ役にたたない。いずれにせよ、何を登るのか、どれを選ぶのかを考えないと、ときに自覚せずに迷い道にはまり込んでしまう。

 

 

 

4)ともあれ、11aまでのルートクライミングに、ボルダー(体操競技)におけるような自然界にない動きは、一般のとくに中高年クライマーには必要ないと私は考えている。運動能力があり、運動神経の優れた人には、ルート、ボルダーは相乗効果となって働くが、一般にはボルダーがルートの阻害要因になる場合が圧倒的だ。

 

 なお、ジムでの教習では、インドアボルダー ⇒ インドアルート ⇒ アウトドアボルダー ⇒ アウトドアルート を上達のカリキュラムの順序としているところが多い。しかしこれは先の理由から完全な間違いである。教える側の本人たちも気づいてないのにはあきれるしかないが、この順序はジムの顧客をさばくために、ジム運営上、経営上、能率的でやりやすい方法なだけで、よく考えれば、個人のクライミング上達に効果的、能率的であるわけではない。むしろ反対で、これで60%の人たちが脱落する。

 

 よく耳にするが、外岩はジムで十分練習してから、と言うクライマーがいる。私に言わせれば、こういう人たちは、インドアで外岩を登れるように練習しているつもりなのだろうが、むしろ外岩がどんどん登れなくなるようにジムで練習していると言ったほうが、当たっている。とくにボルダーはそうだ。インとアウトの両者の偏った刷りこみを避けるために、その割合はともかく、練習は同時並行でしなければならない。

 

 もっと言えば、インドアをやればやるほどアウトドアはのぼれなくなるし、その逆もある。ボルダーとルートの関係も同じ。スラブとハングの関係も同じ(動きがまるで反対)である。互いが互いの阻害要因として働く。つまりこのような阻害要因を避けを支援要因を引き出す意識的な練習が必要になる。それを誤り、偏ったクライマーになるだけならまだいいのだが、まれに登りが破綻してしまう人もいる。もちろん試行錯誤は世の常、致命的ということにはならないが・・。いずれにせよ、どのようにすべきかは、何を目標とするかであって、ケースバイケースであるし、本人の勝手である。