ボルダーの身体の動きと、ルートフリーの身体の動きについて
●2つの登りの本当の違い
ボルダリングにおけるクライマーの登り方(:身体の動き)、そしてフリールートにおけるクライマーの登り方、この2つの登りにおける身体の動きは、どのように違っているか?――意外なことだが、この問題について、しっかりした観察がされておらず、的を射た分析がない。これら2つの登り方を、イメージとしてだが、インドアでの登りで説明してみよう。
●ボルダリングののぼりとは
まず、ボルダリングにおけるクライマーの登りの身体の動きだが、結論から言うと、もっとも特徴的なものは、身体の「収縮と解放(伸張)」である。
当たり前のことだが、登りというのは、身体を上方に上げ、ホールドを取って、上げた位置で身体を止める。
端的な話、いかに遠いホールドを取る、ということが喫緊の課題となる。そのために、足を高みに運び、手を伸ばす。しかし、それだけでは簡単にホールドに届かない。というより、届かないようにホールドを設定している。
それを取るようにするには、いろいろな策があるが、ボルダラーはおもに<上体の起こし>、あるいは<伸び上がり>で、ホールドを取ろうとする。
そして、伸び上がるために、まず身体を縮め、いわゆるタメを作る。つぎに、タメを解放し、身体を最大限に解放、つまり起こしと同時に伸び上がる。そして目指すホールドを取る。
つまり足を運びながら、<タメ―伸び>、<タメ―伸び>を繰り返し、ホールドを取る。これが最初に言った身体の「収縮と解放」の動きである。
ボルダラーはこの「収縮と解放」を上体を中心に行っている。まず、スタートとなるホールドを(上体で)押さえてタメをつくる。次いで上体で起き上がって、さらに伸び上がり、目標のホールドを取った後、(上体で)押さえ込む。
●ジャンプの時も上体で伸びる
ボルダリングを特徴づける動きとして、足を使ったジャンプがあり、跳躍を使っているようにみえる。しかし、そのジャンプをよく観察すると、走り高跳びや跳馬、床運動のジャンプとは少し違う。
走り高跳び、床運動などのジャンプは、競技の目的から言っても、上体が伸び上がるような動きは必要がない。(身体を上げるために)腰を上げることを課題としている。
しかしボルダリングの場合は、<足の跳躍+身体(上体)の伸び>という動きである。これはホールドを取ることが目的であるためだ。足の跳躍もさることながら、身体全体=上体も、まずタメをつくり、それを解放し、思い切り伸ばしている。
このように、ボルダリングは、下半身を使うジャンプの時でさえ、上体を伸張させる。まして、ジャンプでないときは、膝、腰のバネを使っていても、動きの中心は上体になる。
それが本当かどうかは、科学的に計測するしかないのだが、そのような考察はこのHPの本意ではない。計測してくれる方を待ちたい。
それよりも手っ取り早いのは、ボルダラーに直接、聞けばいい。ルートの場合よりも、上体の体幹が大事だと口を揃えて言うと思う。
このときの体幹の強さは、支えたり、保持したりするだけでなく、起き上がり、伸び上がるための強さでもある。
●伸びで取るために必要な足の安定
このボルダリングの身体の動き、つまり<タメ―伸び>の動きには、意外に気づかない重要な前提がある。
――それは、上体を使って伸び上がるためには、力を入れやすく、安定した立位であることだ。具体的には両足立ち、あるいは壁などへの足の押さえが効くこと。あるいは、ステップの踏み込みができることだ。これは本稿でもさんざん言っているBモードである。
これに対して、片足荷重など、安定しない体勢、ステップができない体勢、あるいは重心を外した立ち方では、収縮も、伸び上がり(解放)も十分にできない。本稿で言っているCモードは、このような体勢にあてはまる。
●ルートクライマーの登り方
一方、ルートフリーのクライマーはどのように壁を登っているか?
彼らは身体を上げるために、オーソドックスで地味な方法をとる。岩登りが登山から発生したから、と言うつもりはない。 しかし長丁場ゆえに持久性を考慮するから、自ずと足の立ち上がり、足の乗り込みを使って、ホールドを取ることを考える。
さらにパワーセーブの登りをしようとすると、重力を逃がすことが大きなテーマとなる。まともに重力に逆らう正対の姿勢から、体側姿勢や、ティルティングなどの身体の傾きを取り入れる。
これらの動きが本稿で提示しているCモードである。
なお、Cモードは決して万能でない。Cモードで登れない壁のパーツはいくらもある。ボルダラーのBモードの登りが、むしろそのとき有効だ。しかし課題の大半はCモードで登れる。そのとき、パワーセーブできるCモードで登れたら、ルートのような長丁場では後々有利である。
ボルダラーは、そのようなCモードで登れる部分も、Bモードの一点張りで登り、疲労する。反対に、ルートのクライマーはCモードに浸ってしまって、Bモードが使えない。――そういうことなのだ。
●ルートクライマーはなぜボルダーが登れない
では、より具体的に、なぜルートクライマーが、ボルダリング課題に、的確に反応できないのか?理由は複数ある。
話がごちゃごちゃになるので、ここではルートクライマーを仮に、利井戸(りいど)君ということにしよう(以下、あくまで典型的な一般例として理解して欲しい)。
利井戸くんが壁に向かうときの姿勢というのは、半身の体側姿勢が身についている。登り始めた頃の正対から、動きが変わってきたのだ。
登るときは、手は曲げずに伸ばす。腰は沈み込むようにしている。正対はいつまでも続かないのは分かっているので、彼は無意識的に、身体をわずかに左右どちらかに傾ける。そのことで、重心をはずし、重力を逃がしながら登る。
本稿で言うCモードである。少なくとも正対ではない。ルートクライマーの一般的なスタイルだ。
ルートの登りでは、上体を起こしてホールドを取ったり、体幹で伸び上がってホールドを取るという動きは、デッドポイントでもない限り、してこなかった。
また、足の動きというのは、おもにCモードを作り、そこから足で立ち上がって、上部のホールドを取る、という動きの中にある。それでもホールドが遠いときは、巻き込みやひねりをつかう。
正対気味で足を踏ん張り、身体を縮めてタメをつくり、次の瞬間、力を解放して、上部のホールドを取りに行く、というボルダースタイルではない。
体側姿勢ではタメも作りにくいし、伸び上がりの力も発揮できない。要するに彼の登りは足による立ち上がりが中心だ。
体幹は弱くはない。しかし身体を保持し、支持する動きになれていても、これで身体を引き起こす動きはしていない。デッドポイントとボルダリングの身体の伸び上がりとは違う。
結局、彼、利井戸くんのスタイル、動き方は全体的に言って、ボルダリングの動きにはマッチしていない。
ボルダリングをやろうというのなら、動きを正対中心にもどし、上体の伸張、引きつけの稼働域の拡大、パワーをつけなくてはならない。いままで20cmしか起こせず、伸びなかった上体を、30cm起こし、伸ばすのだ。
端的な話、アルパインクライマーなど、物を担ぐことから、体幹はしっかりしている。しかし、それは荷重に耐える動きであって、自分の身体を起こし上げたり、伸張させたりする動きではない。
ルートフリークライマーは、体側姿勢をとり、ティルティング姿勢で重心を逃がすことに腐心していて、まともに重力を身体で受け止め、重力に逆らって登る発想はない。
個々のパーツではボルダー課題は難しいのだが・・
一般に、ボルダリングの課題から、個々の動きのパーツを取りだしてみると、それ自体はルートのパーツより難しい。端的に言って、パーツの解決力だけで考えると、ボルダラーがルートクライマーより優れている。
個別を解決する瞬発的なパワーがある。さらに、テクニックにおいても、と言いたいところだが、ボルダーのテクニックとルートのテクニックは、少し違う。
これは考え方で、保持しにくい体勢で、上部のホールドを取るには、上体起こしのパワーが備わっていれば、それ自体は難しくない。
しかし、これをルートのカウンター・Cモードでとろうとすれば、微妙なスタンス、ホールドで身体を維持しながら、たとえばドロップニーで、壁に腰を近づけて手を伸ばす。あるいは身体のひねりを入れて、手を上部に伸ばす。
あるいは、悪いホールドを押さえながら、大きな動作でカウンターを打つ
そのようなCモードの合わせ技、つまり1レベル上のテクニックを繰り出すことになる。ぎゃくにボルダラーはそういうことはできないだろう。
このようにテクニックといっても、位相が違うので、比較が出来ない。
上体の起こしが人並み以上にできれば、テクニックなしで、遠くのホールドが取れる。一般にボルダリングはフィジカルへの依存が大きい。
ではルートの登りの、ひねり、巻き込み、ドロップニー、大技カウンターのテクニカルなワザに何の意味があるかというと、それによるパワーの消耗は少なさだ。
そこにルートの動きの意味がある。ホールドを取るだけなら取れるだろう。でも、それから後が続かないと、意味がない。
●目的が違うと動きも違う
ともかく、両者の目的が違うと動き方も違う。結果、ボルダー課題はルートクライマーは苦手ということは事実だろう。そして、この側面だけ捉えれば、ルートクライマーはボルダリング技術を身につけるべきだ、ということになる。
ただし、注意したいのは、「典型的な完成したルートクライマー」というのは、一種の架空の話であって、人にもよるが、グレードが12ぐらいでは、必ずしも完成しておらず、偏ったところ、不足している部分を抱えている。むしろ、それを改善した方がいいという場合もある。ケースバイケースだ。
まして、そこにも至らない状態で、たとえば10半ば~後半クライマーが、ボルダリングを取り入れるとどうなるか?
後述する<ボルダラーがなぜルートを登れないか>の説明を読んでいただきたいが、そういう10クライマーのボルダリング練習は、何をもたらすか?
それは、ボルダラーが<ルートを登れない>問題を、そっくり、10クライマーが自分の動きの中に持ち込むことになる。
全員がそうだとは言えないが、そういうベクトルが働く。それがしばしば、ひとつの混乱をもたらす。
●意識しなければ矛盾する練習
わかりにくいと思うので、最もわかりやすいひとつのパターンをあげてみよう。ここでもクライマー、天代(てんだい)さんに登場してもらおう。
彼女はグレードとしては10レベルで、垂壁登りが得意。カウンターバランスもできるが、十分にCモードになっておらず、体側姿勢に尻込みし、重心の移動、重力の逃がしが十分にできていない。
そういう彼女がレベルアップのためには、ボルダー力が必要と考え、ボルダーを練習する。
ボルダーがどのような動きか、さんざん言ってきたが、結局、Bモードで上体を使って(最初は上体の伸びなど、出来っこないが)ホールドを取ろうという動きである。
彼女は、ルートの登りで正対から脱し切れておらず、その脱皮が課題なのに、ボルダーの練習では、正対姿勢から上体起こしの動きの強化練習をしていることになる。
ルートでCモードの習得中なのに、ボルダーを練習してBモードでホールドをとろうとする。
――これでは、何を練習しているのか分からない。練習する意味がない。訳の分からないクライマーができあがる、少なくとも、行きつ戻りつ、試行錯誤に膨大な時間をかけることになるだろう。
要するに、動きの意味を理解して、意識的に練習するのならともかく、ルートの練習をしているときに、力をつけるため、と言って、ボルダー登りを練習することを、私がお勧めしないのは、この理由からだ。
Cモードを習得するには、少し時間を要するのだ。そのときに、正対の練習をしていては何にもならない。
これまで、クライミングのトレーニングというのは、何もかもやみくもに、意味も理解せず、表面的なノウハウ、ハウツーを学ぼうと、こういうことを繰り返しやってきた。
●ハウツーでしばしば起きる混乱
この論考で、ハウツーでは、結局、問題解決にならないと主張しているのも、このような理由からだ。
上級者のトレーニングの視点で考えることと、基本を身につけようとする学習者に混乱をもたらさないトレーニング方法は、基本的にちがっていてとうぜんだ。
このような例はこのBモード、Cモードの混乱の例にとどまらず、いくつもある。
たとえば、ボルダラーがルートを攻略しようと考え、よく取る対策に、ボルダー壁の長物でのトレーニングがある。
ボルダーというのは、10手からせいぜい20手程度である。ルートで行き詰まるのは、そのような手数の多いクライミングをしていないからだ、と考え、ならば、ボルダー壁の長物で、持久力を鍛えようと、思いつく。
外岩のツアーに行く前に、ルートのトレーニングだとして、そういうことをやる。
しかし、ボルダーの長物は、ボルダラーが設定しているだけあって、やはりボルダーだ。重心をはずしたり、平衡カウンター、フラッギング、ドロップニーなどの動きはまずない。効果的なステップでおこなう切り返しなど、出てこない。ぜんぶ押さえ込みだ。
もちろん、そういう長物でも、Cモードを使うことが出来、意識してやればルートの練習にはなる。しかし、実際にとりついているボルダラーの動きはボルダリングの域を出ていない。
結局、ハウツーは根本の洞察がないので、目先だけに惑わされ、さまざまな混乱を生み出すことになっている。
むしろ、クライミングの基本的な構造を理解すれば、そこからどうしたらいいか、おのずと方法が見えてくるはずなのだ。
●ボルダラーはなぜルートがのぼれないのか?
さて、今度はこれまでと反対のことを考えてみよう。すなわち― 「ボルダラーが、なぜ、ルートの登りをうまく、こなせないか?」―という反対の視点である。
これも考えてみれば、かんたんなのだ。ここでは、掘多(ぼるだ)くんに登場してもらおう。
掘多(ぼるだ)くんは、ボルダリングがうまい。2~3級は普通に登るし、1級もいくつか落としている。
そういう彼がルートに挑戦するとしよう。これまで、彼はせいぜい3~4mのボルダー壁を触ってきた。彼のクライミングのフィロソフィー(哲学)は、いわく「フィジカルとテクニック」である。
しかし、重力を逃がすという発想は知らないし、重心の位置など考えたことがない。そんな話は、リードでも誰も言わない。まして、ボルダリングの世界では、「なに? それ?」というレベルである。
彼は、リード壁を5.9ぐらいなら、1登目は登る。しかし、これが、2登、3登目になると、もういけない。
手が疲れてきて、落ちないように、手でしがみつく。それでも登ろうというわけで、身体を伸ばし、上部のホールドを取ろうとする。しかし、そのことでさらに疲れる。こうなると、もう登りにならない。
彼の登りのどこに問題があるか、というと、結論的な話になるが、重力を逃がすこと、ができていない、そのための身体の重心外しを知らない、ということだ。
壁の下には、「パンプしないように、手を伸ばせ」と指導し、足の位置、目指すホールドなどを指示してくれるインストラクターがいる。「右足をあげる、そこで乗り込む。次は左のうえ」と、ちくいち下から声をかけてくれる。
しかし、彼は命令で動くロボットでない。はたからは聞いていると、「なんと、そこまでいうか・・」と言う気持ちになる。
下積みはつらい。人に言うことを、ちくいち聞いて手足を動かす。しかし、それで何が分かったというのだろう。「練習すれば、そのうちできるようになる」――先生もそう言うし、教わる方は、それを信じるしかない。
しかし、堀多くんが上部のホールドを取る動きをみると、さすがにボルダリングで鳴らしてきただけあって、無理な体勢から、よく取れると思うホールドを取っている。しかし、それも何回かであって、そのうち疲れ果てて、テンションでお休み。高所になれない恐怖もあるから、力が入っていることもある。
足の動きを見ると、カウンター的な動きもある。しかしBモードのカウンターなので、カウンターを打っているときも、手はしがみつきになり、力で身体を壁に寄せていて、ぜんぜん力が抜けていない。
課題をこなすテクニックや、それに伴う足使いは、ボルダラーも上級者になると結構うまい。しかし基本となる身体の裁き、動き方はルートのそれとはちがうので、テクニックは結局、小手先の域を出ない。
ボルダラーが考える「フィジカルとテクニック」――その二つともあるのだが、ルートで大切な肝心のものが抜けている。
●お三方へのアドヴァイス
最後に、利井戸くん、天代さん、掘多くんへのアドヴァイスを書いておこう。
●利井戸くんへのアドバイス
利井戸くんの場合は、ルートを登るのならそれでいい。ただ、ルートで、さらにグレードアップしようとすれば、基礎体力とか、基礎的な身体能力の獲得が必要だろう。
高難度にクライミングの秘密があり、上級者ほど神髄を体得していると、誰もが考える。しかし、意外に思うかもしれないが、そんな秘密や神髄などない。
高難度への対応とは一般的な身体能力へとシフトであり、その強化である。
テクニックを磨くにしても、そのテクニックだけを獲得するというよりも、基礎的な身体能力なくしては、それさえ出来ない。
そして、もう一つはボルダリング力で一定程度、活路を見いだせると思う。
Cモードの動きはできているから、それとは別に、Bモードのボルダリング力を身につけたい。彼のレベルになれば、ルートの登りと、ボルダリングの登りを混同して使うということはないだろう。2つをスイッチして使うことを考えよう。
●天台さんへのアドバイス
天台さんの場合は、ルートとボルダーを意識して練習したい。ルートではきっちりCモードを身につける。高度なカウンターも出来るようにする。
垂壁が登れて、ハングが登れないのは、Cモードが出来ていないせいだ。ハングが少しこなせるようになってから、ボルダーをやっても遅くない。
あまり、細かい小技にはこだわらず、登りをスムーズに、のびのびと出来るようにしたほうがいい。小ワザなど、すぐできる。
●掘多くんへのアドバイス
ルートを登ろうということになると、じつは掘多くんが一番難しい。というのも、テクニックやフォーム以前の基本の登り方、身体のさばき方ということになるからだ。
そのことを本稿ではモードという概念で説明している。要するに、Cモードを身につけることだ。
身についた身体の動かし方を基本からチェンジするのは難しい。しかし掘多くんがCモードを身につければ、鬼に金棒になるだろう。
コラム)
利井戸くんのアドヴァイスのところでも、少し触れているが、上級者も含め、クライマーのほとんどみんなが持っている信仰がある。
それは、自分ができるグレードよりも、もっと上のハイグレードに、つまり、高難度にクライミングの本質、ないし神髄があるという信仰である。
自分は、クライミングが何か、まだ十分に分からない。しかし、これが11を登り、12、13を登るようになれば、見えてくる――そう考えているのだ。
したがって、上級者ほど神髄を体得している、クライミングが何かを理解していると、誰もが考える。
意外に思うかもしれないが、技術や体験量は多くなるだろうが、高難度が登れれば、そんな秘密や神髄が見えてくるわけではない。
そのように信じたい気持ちは分からないでもないが、それは一種の神秘主義にすぎない。
遠い国に何かある、と思うのだが、実は何もない。
幸せを求めて追いかける青い鳥のような話で、しあわせは(つまり秘密は)、あなたの、その目の前にあるのだ。
では高難度とは、なんだろう。高難度への対応とは一般的な身体能力へとシフトであり、その高度化と強化である。 それだけの話で、クライミングの秘密は、10クライマーのあなたの目の前にあるのだ。
スポーツにはこの種の信仰がよく見られる。プロプレイヤーにとっても、雑誌やグッズ、ギアなどの業者にとっても、そういうかっこいい神話が必要で、セールスプロモーションの一環だ。そういうイメージが飯の種になっている。一種のスキームだ。
これと似たような話をむかし体験した。いまでは考えられないが、岩場で12にトライしていた。2年近くかけて、100トライを遙かに超えて登ったクライマーがいた。
とうじ、12を登れば、それだけのクライミング技術が身につき、クライミング能力を自分の物に出来るのだ、とみんな思っていた。
ところが、そのようにして登ったクライマーが、10cさえ落ちていた。私自身、なぜそういうことが起こるのか、分からなかった。
答えは実に簡単で、いくら高難度であっても、たかだか、20~30mのルートに、クライミングのすべてがあるわけではない。そのルートが出来たからと言って、12以下のすべてのルートが登れるようになるわけではない。
いまではこんなことを信じる人はいないだろうが、当時は12以上を神秘の対象のように思っていた。
夢は大きい方がいい、理想は高い方がいい。しかし、ものはリアリズムで見なくてはならない。