上のチャートは雑誌、書籍などでよく見るクライミングの分類である。このような分類は次のような基準で行なわれている。
・ロープを使うか、使わないか(ボルダリングかそれ以外か)。
・壁の高さ(3-4m、1ピッチ、あるいはそれ以上)。
・リードクライミングかトップロープか。
・登りのための器具を使うかどうか(フリーかエイドか)。
・自然の岩か人工のストーンか(アウトドアかインドアか)。
こうしたクライミングジャンルの分類は間違いではない。しかしこの分類は、対象物(壁、ストーン)、使用する器具(ロープ、登攀器具)など外部的要因を基準としていて、クライミング自体ではない。正確に言うと、これはクライミングの分類ではなく、クライミング方式の分類とでも言うべきだろう。
しかも最も怖いのは、このような説明が、一種の致命的な誤解をはらんでいることだ。つまり、あらかじめクライミングという、どのジャンルにも通用する、1つの絶対的な登りの技術があって、それを学ぶのだという錯覚を学習者に与えかねない。
実際は、クライミングの身体の動きはどのジャンルも同じでない。共通するものもあれば、そうでないものもある。あるジャンルをマスターすれば、他のジャンルにも通用するというわけでは決してない。むしろ、あるジャンルのクライミングの方法が、他のジャンルのクライミングの動き対して妨げになる場合がある。
ボルダーをやっていればルートが登れるようになるわけでもなく、ルートをやっていればボルダーが上達するというわけではない。アルパインをやっていればルートもボルダーも登れるというわけではもちろんない。
さらに言うと、インドアをやればアウトドアが登れるわけではない。その逆も言える。それは結局、身体の動きが違うからだ。
それどころか、ある一定のからだの動きは、他の身体の動きの習得を阻害さえする。動きが違うものをやることで、互いの技術習得を阻害していることに早く気付いた方がいい。
こういう話をすると、「有名クライマーはどのジャンルでもオールマイティじゃないか!」ーーそういう反論が必ず出る。
しかしかれらはもともと、いろいろなジャンルで技術をスィッチできる器用さがあり、身体能力にも優れていて、ふつう程度の器用
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<コラム>ジャンルによって動きが違う
じっさいに、ボルダーが嫌い、という女性で、ルートだけをやっていて、1年で11aを登った反面、同じ時期にクライミングを始めた男性が、ルートを最終目標にし、クライミングは同じだというわけで、ボルダーを中心に練習をしたのだが、いつまでたってもルートが登れないという例を知っている。 これなど、ひとつのジャンルの身体の動きが、他のジャンルの身体の動きの習得に役に立たない、あるいは阻害してはたらいている、よい例だ。これがどうして起きるかを、見抜くのは容易でない。そのなぜかを2章で明らかにしている。 それはともかく、この11aを登った女性は、そこまできたら、つぎはボルダーを補助的に学んでいけばいいと私は思う。基本的に、女性は力の組み立てが苦手なのだ。 反対に、ルートが登れない上記の男性は、あくまでルートを登ろうというのなら、当面ボルダーはやめて、ルートに特化した身体の動きを一から学ぶしかないと思う。 両方の動きをチェンジして学ぶ器用さがあればいいが、そうでないのだから仕方がない。両方やっていると打ち消しあって、結果、努力にロスが出るタイプなのだろう。もちろんボルダーが目標だというのなら、それはそれでいいのである。 |
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●フォームの概念で、登りを構造的、体系的に捉える
こうした混乱をもたらしているのは、クライミングの身体の動きの解析が、まだ十分になされていないことに、原因のひとつがある。
端的な話、クライマーのあいだでは、身体の動きをすべて「ムーブ」のひと言で語られる。このムーブという言葉はすこぶる便利な代物で、身体の傾けや動かし方、ホールドつかみ方などの技術、果ては動きの手順まで、このムーブのひと言で済ませることが出来る。
若い女性の「カワイイ」というワンパターンの繰りかえし、この語彙の不足、思考停止と同じである。ボルダーとルート、アルパインの動きを区別できる概念がない。概念がなければ、現実は差別化できない。
カワイイであっても、超カワイイ、大人カワイイと分化してきている。これらはあくまで平面的な分類だが、もっと現実を構造的に把握できるコンセプトがある。
虹の色は7色だと考えていると思う。しかし、アフリカとか未開の地にいくと、これが3色という認識になる。味覚も同じで、粗末なものしか食べていない未開の部族では、甘いと辛いの2つしかなかったりする。そうした人たちは、生活が単純で、細かい分類で考える必要がない。そのためだ。
カワイイであっても、超カワイイ、大人カワイイと分化してきている。ただ、これらはあくまで平面的な分類で、現実を構造的に把握できるコンセプトにはなっていない。
クライミングも、草創期の3点支持の単純な登り方から、ジャンルも、動きも複雑化してきている。現実の複雑化、多様化に応じて、原始時代のような、こうしたワンパターンの思考をやめる時期が来ている。
それぞれのスポーツには、その目的に沿った基本の動き、そしてわざとしてのテクニックなどがある。それらをセグメントして捉え、基本とテクを順序立てなければ、学習者の理解はあべこべになり、動きが混乱してばらばらになってしまうだろう。また、そのように構造的に捉えることで、ジャンルの違いも見えてくるのだ。
この論考では、クライミングの基本となる動きをフォームとし、状況に応じて使い分ける技術(わざ)とでも言うべきものをムーブとして捉えた。
このようにセグメントして把握することで、クライミングの身体の動きを、体系的、構造的に捉えることが可能となるはずだ。野球やゴルフなど、フォームという概念は、他のスポーツではごく一般的に使われているものである。
なお、クライミングにおいて、フォームがどういうものか、2章から説明をしているので、順に読んでほしい。
<以下の文はボルダーとはなにか、など3章以下に>
じっさいに、ボルダーが嫌い、という女性で、ルートだけをやっていて、1年で11aを登った反面、同じ時期にクライミングを始めた男性が、ルートを最終目標にし、ボルダーを中心に練習をしたのだが、いつまでたってもルートが登れないという例を知っている。これなど、ひとつのジャンルの身体の動きが、他のジャンルの身体の動きの習得に阻害してはたらいているよい例だ。しかし、この11aを登った女性は、そこまできたら、つぎはボルダーを補助的に学んでいけばいいと私は思う。
反対に、ルートが登れない上記の男性は、あくまでルートを登ろうというのなら、当面ボルダーはやめて、ルートに特化した身体の動きを一から学ぶしかないと思う。もちろんボルダーが目標だというのなら、それはそれでいいのである。
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